飯盛山のみどころ:飯盛分店は飯盛山白虎隊墳墓のすぐ下、鶴ヶ城・会津平野を一望できる高台のお土産店です!

飯盛山のみどころ:飯盛分店は飯盛山白虎隊墳墓のすぐ下、鶴ヶ城・会津平野を一望できる高台のお土産店です!

飯盛山は、会津若松市街の東2キロにあり、城下町を一望に見渡す小高い山で、その頂上には約1650年~1700年前につくられた前方後円墳であり、隠れキリシタンの祠もあり、地元滝沢村住民の共同墓地でもある。そして古くは古代四道将軍、弁財天、日本武尊などの神話も残り、1600年以上、連綿と会津盆地を見守る信仰の山です。

ここには、白虎隊十九士の墓、各地で戦死した三十一士の墓や、イタリア並びにドイツから贈られた記念碑、さざえ堂、宇賀神堂、厳島神社、白虎隊引揚の洞門、市天然記念物の太夫桜など、数多くの神話、史跡名所が残っております。

また、ふもとには戊辰戦争時には会津藩の本陣となり、藩主松平容保公が白虎隊士に戸の口原への出陣を命じた『旧滝沢本陣』、2013年NHK大河ドラマ八重の桜のオープニングで使われた市天然記念物の『石部桜』がある。

現在では、『ならぬことはならぬ』の会津精神、戊辰戦争の折に、白虎隊が自刃した地として知られあまりにも有名です。木々に囲まれ並ぶ墓石には今もなお訪れる人が多く、山腹の墓前には御線香の煙が絶えることはありません。 飯盛山を歩く!モデルコース:飯盛分店は飯盛山白虎隊墳墓のすぐ下、鶴ヶ城・会津平野を一望できる高台のお土産店です!

まずはスロープコンベアで飯盛山へのぼりましょう!

まずはスロープコンベアで飯盛山へのぼりましょう!:飯盛分店は飯盛山白虎隊墳墓のすぐ下、鶴ヶ城・会津平野を一望できる高台のお土産店です!「動く坂道」スロープコンベアをご利用になれば山上まで石段を登らずに楽に登れます。

石段は山頂までは183段。飯盛分店は155段目です。

一般料金 大人(中学生以上) 250円 / 小人(小学生) 150円
団体料金 大人30名様以上 210円 / 200名様以上 170円
修学旅行特別料金 中・高校生 150円 / 小学生 100円
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白虎隊十九士の墓

白虎隊十九士の墓:飯盛分店は飯盛山白虎隊墳墓のすぐ下、鶴ヶ城・会津平野を一望できる高台のお土産店です! 白虎隊十九士の墓:飯盛分店は飯盛山白虎隊墳墓のすぐ下、鶴ヶ城・会津平野を一望できる高台のお土産店です!

慶応4年(1868年)正月3日、鳥羽伏見の敗戦によって会津藩はこれまでの軍事的欠陥をさとり、3月10日、改めて軍隊の編成替えをおこないました。
そこで誕生したのが、中国の四方(東西南北)の武神の名のもとに、『玄武隊』『青龍隊』『朱雀隊』『白虎隊』の4隊でした。それぞれの隊は年齢によって編成され、更に各隊は身分階級によって、『士中』『寄合』『足軽』の3隊に分けられ、白虎隊は総勢343名(現在の推定)でした。そのうち戸の口原十六橋に向かったのは、白虎隊士中二番隊の37名でした。そしてその中の17名は無事に入城しましたが、20名は飯盛山で自刃をされ、1人蘇生された飯沼少年を除いた19士の墓となります。

戊辰戦争後、会津藩は朝敵とされたために白虎隊の遺体を明治政府はそのまま放置しておくよう命じ(埋葬禁止令』埋葬の許可がされませんでした。風雨に晒される少年たちの遺体は、衣服遺留品は盗賊に盗られ、動物に食べられ酷い状態でした。不憫に思った当時の山主飯盛正信が、村の吉田伊惣次と有志らと夜な夜なコッソリと骨を拾い集め、今の墓前広場の一角に仮埋葬をしました。しかし、このことが西軍にわかり、正信爺は伊惣次と共に処罰され、その後許され出てきた時には正信爺は縄のようにやつれておりました。

明治2年になって、ようやくこの飯盛山中腹に合葬が許され、私ども飯盛一族は『一個人の私有地にお眠りなられるのは、さぞかし肩身の狭い思いをされるだろう。ならば、この山をお殿様に献上すれば、永遠にお殿様の傍で安らかに眠れるであろう。』と、土地三半歩を旧藩主に献納し、妙国寺の数体の遺体と共にこの飯盛山に白虎隊墓地が新設されたことで、『飯盛山は、わしが守る。』と、初代『飯盛キン』が慰霊を尽くしてから、二代目、三代目と継承し、現在で四代目となりました。
明治17年には墓地を拡げ慰霊祭が行われ、そののち明治23年になって自刃した隊士を19名と決定し大慰霊祭が行われ19士銘々のお墓が建ちました。

激しく壮絶な障害を遂げた白虎隊士ですが、今はここ飯盛山で、鶴ヶ城に向かい安らかに眠っています。

白虎隊十九士の墓:飯盛分店は飯盛山白虎隊墳墓のすぐ下、鶴ヶ城・会津平野を一望できる高台のお土産店です! 白虎隊十九士の墓:飯盛分店は飯盛山白虎隊墳墓のすぐ下、鶴ヶ城・会津平野を一望できる高台のお土産店です!

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イタリー記念碑

イタリー記念碑:飯盛分店は飯盛山白虎隊墳墓のすぐ下、鶴ヶ城・会津平野を一望できる高台のお土産店です!1928年に、白虎隊士をたたえてローマ市民からとして、当時のイタリアの首相ムッソリーニから『白虎隊とイタリアのファシスタ党とは、一脈相通じるものがある。』と贈られた石碑です。

大きなこの石碑は、赤色花崗岩の古代円柱で、その上部には右足に鉞を持った青銅の鷲が羽を広げています。その碑文には『文明の母なるローマは白虎隊士勇士の遺烈に不屈の敬意を捧げんがため、古代ローマの権威を表すファシスタ党章のマサカリを飾り、永遠偉大の証たる千年の古石柱を贈る。』と記され、また裏面には『武士道の精華に捧ぐ、ローマ元老院と市民より』と刻されています。
この碑の中心の円柱は、79年のヴェスヴィオ火山の爆発で埋没したポンペイから発掘した古代ローマ宮殿の柱です。

頂いた当初、この碑には青銅のマサカリと結んだ柴が碑文の4角にそれぞれ4本、更に鷲が1本握っておりました。柴は団結をあらわし、マサカリは武をあらわしていたのです。この5体のマサカリと柴は、第二次世界大戦後、進駐軍(米兵)に持ち去られてしまい、碑文も削りとられ、碑は倒されてしまいました。
尚、碑文だけは昭和60年三代目墓守飯盛フミの代に復元されました。

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ドイツ記念碑

ドイツ記念碑:飯盛分店は飯盛山白虎隊墳墓のすぐ下、鶴ヶ城・会津平野を一望できる高台のお土産店です!白虎隊士の行動に感動したドイツ大使館付武官ハッソウ・フォン・エッドルフ大佐から、白虎隊精神を賛美して昭和10年に寄贈されました。石碑にはナチスのマークとドイツ語で『会津の若き少年武士に贈る』と刻まれています。

こちらの碑も第二次世界大戦後、進駐軍(米兵)米軍司令官より碑文とマークを削られ撤去を命ぜられましたが、当時の二代目墓守が自宅(現飯盛分店)に隠し、昭和28年に再び同じ場所に戻されました。
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郡上藩 凌霜(りょうそう)隊

郡上藩 凌霜(りょうそう)隊:飯盛分店は飯盛山白虎隊墳墓のすぐ下、鶴ヶ城・会津平野を一望できる高台のお土産店です!郡上藩の凌霜隊は、会津藩と共に戦い運命を共にした。
同様な慰霊碑が郡上八幡城にもある。

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飯沼貞吉の墓

飯沼貞吉の墓:飯盛分店は飯盛山白虎隊墳墓のすぐ下、鶴ヶ城・会津平野を一望できる高台のお土産店です!飯盛山に引き上げた白虎隊20名の中でただ一人生き残ったのが飯沼貞吉でした。貞吉は、生き残ってしまった自分を責めて、この会津の地から離れ二度と会津に戻ることはありませんでしたが、戊辰戦争・白虎隊の自刃に至るまでの詳細を貞吉が語ったことで、飯盛山で自刃された白虎隊の物語が世に知られることとなったのです。

生前多くを語らなかったと言われる貞吉ですが、貞吉たっての希望で戊辰戦争90年祭の昭和32年に彼らが自刃した場所と自刃を遂げた19名の墓の間に髪の毛と爪(抜け歯)が納められました。

尚、貞吉は後に貞雄と改名しているので墓石は貞雄とされています。

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白虎隊自刃の場

白虎隊自刃の場:飯盛分店は飯盛山白虎隊墳墓のすぐ下、鶴ヶ城・会津平野を一望できる高台のお土産店です! 白虎隊自刃の場:飯盛分店は飯盛山白虎隊墳墓のすぐ下、鶴ヶ城・会津平野を一望できる高台のお土産店です!

戊辰戦争慶応4年(明治元年)~明治2年(1868年~1869年)の戊辰戦争で、会津藩は、15歳~17歳の少年で『白虎隊』を編成し、その中でも、士中二番隊は会津藩校日新館に学ぶエリート隊でした。彼らは明治元年(1868年)8月23日、戸の口原での戦いで決定的打撃を受けて潰走し、負傷者を抱えながら郊外の飯盛山へと落ち延びました。だがここから眺めた戦闘にによる市中火炎の模様、黒煙と炎に包まれる鶴ヶ城を見て、自分達の至らなさで会津をこんな火の海にしてしまったと いち早く会津の負けを悟り、自ら命を絶っていきました。

戊辰戦争後、会津藩は朝敵とされたために白虎隊の遺体を明治政府はそのまま放置しておくよう命じ(埋葬禁止令)埋葬の許可がされませんでした。この場所で風雨に晒される少年たちの遺体は、衣服遺留品は盗賊に盗られ、動物に食べられ酷い状態でした。不憫に思った当時の山主飯盛正信が、村の吉田伊惣次と有志らと夜な夜なコッソリと骨を拾い集め、今の墓前広場の一角に仮埋葬をしました。しかし、このことが西軍にわかり、遺体は掘り起こされ元のこの場所へ投げ捨てられ、正信爺は伊惣次と共に処罰され、その後許され出てきた時には正信爺は縄のようにやつれておりました。

白虎隊の埋葬の許可がおりたのは、後の明治2年のことでした。

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展望台・飯盛分店でお買物・お食事

展望台・飯盛分店でお買物・お食事:飯盛分店は飯盛山白虎隊墳墓のすぐ下、鶴ヶ城・会津平野を一望できる高台のお土産店です! 展望台・飯盛分店でお買物・お食事:飯盛分店は飯盛山白虎隊墳墓のすぐ下、鶴ヶ城・会津平野を一望できる高台のお土産店です!

白虎隊十九士の墓の広場から階段を降りたら飯盛分店で一休みして下さい。 会津名物のソースカツ丼・お蕎麦・ラーメンなどのお食事をお楽しみいただけます。

展望台・飯盛分店でお買物・お食事:飯盛分店は飯盛山白虎隊墳墓のすぐ下、鶴ヶ城・会津平野を一望できる高台のお土産店です! 展望台・飯盛分店でお買物・お食事:飯盛分店は飯盛山白虎隊墳墓のすぐ下、鶴ヶ城・会津平野を一望できる高台のお土産店です!

お店の奥には鶴ヶ城を含めた会津市内が一望できる展望台がございます。

また、白虎隊最後の自刃の絵や戊辰戦争直後の鶴ヶ城の写真などを展示している資料館もございます。

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さざえ堂(国指定重要文化財)

さざえ堂食(国指定重要文化財):飯盛分店は飯盛山白虎隊墳墓のすぐ下、鶴ヶ城・会津平野を一望できる高台のお土産店です!正しくは『円通三匝堂(えんつうさんそうどう)』といい、寛政8年(1796年)に飯盛一族の先祖である飯盛山正宗寺(せいそうじ)第12世郁堂和尚(いくどうおしょう)によって建立され、西国三十三観音菩薩を安置した六角三層の観音堂です。
その形が さざえの殻に似ていることから俗に『さざえ堂』と呼ばれ、階段のない螺旋通路で上り下りができ、上りの人と下りの人がすれ違うことなく一方通行で巡れる世界にも例のない建築で、国の重要文化財に指定されています。

仏像は明治の神仏分離令で撤去され、今は皇朝二十四孝(会津藩道徳教科書)の絵顔【三匝堂】が掲げられてあります。

【拝観料】 大人400円, 大・高生300円, 中・小生200円

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宇賀神堂

宇賀神堂:飯盛分店は飯盛山白虎隊墳墓のすぐ下、鶴ヶ城・会津平野を一望できる高台のお土産店です!五穀豊穣の神、宇賀神(白蛇)をお祭りしています。

寛文年間(1661年~1672年)、松平正容が厳島神社の傍社として建設され、現在は明治23年につくられた白虎隊十九士の洋装の霊像が祀られております。

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供養車

供養車:飯盛分店は飯盛山白虎隊墳墓のすぐ下、鶴ヶ城・会津平野を一望できる高台のお土産店です!この車を廻せば悲痛な音を発し、これが冥途にとどいて白虎隊士の霊魂を慰めるものです。

また石の台は中国伝説の獏といい夢を喰うので、その頭にのぼれば悪夢消滅の願いをかなえると言われています。

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白虎清水観音

白虎清水観音:飯盛分店は飯盛山白虎隊墳墓のすぐ下、鶴ヶ城・会津平野を一望できる高台のお土産店です!慈母子育観音像を安置し奉り白虎隊士をはじめ幾度の戦役等において祖国に殉じたる少年達の霊を弔うものです。

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巌島神社

巌島神社:飯盛分店は飯盛山白虎隊墳墓のすぐ下、鶴ヶ城・会津平野を一望できる高台のお土産店です!『弁天様』と親しまれるこの神社が、飯盛山の別名『弁天山』の由来にあたります。『飯盛山』という名も、このお堂建設に纏わる神話が由来しております。

永徳年間(1381年~1383年)に正宗寺の別当として『宗像神社』建設されました。主神は市杵島姫命。後に、明治の神仏分離令により『厳島神社と』改称され、仁王門の仁王像、は撤去され盧舎那仏も阿弥陀寺へ移された。

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戸の口堰洞穴

戸の口堰洞穴:飯盛分店は飯盛山白虎隊墳墓のすぐ下、鶴ヶ城・会津平野を一望できる高台のお土産店です!天保年間に会津平野のかんがい用水として猪苗代湖より通水した洞穴ですが、戊辰戦争の折、 白虎隊が鶴ヶ城の情勢を確認するため飯盛山に向かう際、この洞穴をくぐりました。
現在でも農業や工業用水に使われています。

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その他近隣の施設

白虎隊伝承史学館:飯盛分店は飯盛山白虎隊墳墓のすぐ下、鶴ヶ城・会津平野を一望できる高台のお土産店です!白虎隊伝承史学館

白虎隊をはじめ、会津藩士や新選組ゆかりのものを中心に展示品は5000点あまり、武具や調度品、写真、絵図など戊辰戦争にかんする歴史的資料が数多くならび当時のよ うすがわかります。また、江戸期のきらびやかな着物や銅鏡や鏡台かんざしなど女性用化粧用具も展示されています。

【料金】 大人300円、高校生200円、小中学生150円

白虎隊記念館:飯盛分店は飯盛山白虎隊墳墓のすぐ下、鶴ヶ城・会津平野を一望できる高台のお土産店です!

白虎隊記念館

主に「白虎隊」をはじめとする戊辰戦争関係の史料(遺品、遺墨、写真など)を収蔵、展示しています。2階ではアニメによる「白虎隊」の解説ビデオ(10分)を上映しています。

【料金】 大人400円、高校生300円、小中学生200円

旧滝沢本陣(国指定史跡・国指定重要文化財):飯盛分店は飯盛山白虎隊墳墓のすぐ下、鶴ヶ城・会津平野を一望できる高台のお土産店です!

旧滝沢本陣(国指定史跡・国指定重要文化財)

参勤交代や領内巡視などの際の殿様の休息所。戊辰戦争の際に本営となり、白虎隊もここで命をうけて戸ノ口原戦場へと出陣していきました。  建物のあちらこちらには弾痕や刀傷があり、当時の戦いの痕跡をとどめています。

【料金】 大人300円、高校生250円、中学生150円、子供100円

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